ツイッターはやっぱり小窓

何かの拍子で、フォローしている人とはちがう「系」の人のツイートをなにげなく巡ってみた。いや、世界が違うんでびっくりした。エクリチュールの緊張度も違うし、社会に向ける眼差しの色合いが端から違う。当てずっぽだけれど、ツイッターを通してマスコミが伝える表層的な情報から一歩踏み込みつつ、しかも多角的に材料を手に入れようとしたら、千人くらいのツイートをていねいに追いかけなければならないのでは?
そんなことやってられない。
マスメディアにしか触れない人と、ツイッターを含めたウエブ世界から情報をえる人との社会観の差は激しい。けれども、ツイッターの自分の「小窓」と他人の「小窓」との差もひょっとしたらそれと同じくらい激しいのかも。
これは新しいジレンマの元となるだろう。つまり、深く掘るなら狭く掘るしかないということ。