何度やっても・・・

 この土日は拙訳の劇団NLT「OH!マイママ」の稽古場に行った。2年前に初演した作品が九州へ旅公演するための稽古である。基本的には初演時と大きな変更はないが、そのときの反省をふまえて微修正が行われる。なにより若手が自信をもってきた成果が大きい。やや「上っ面」だけだったところもあらためて精密に練られていくので、仕上がりもよくなっていると思う。
 稽古場は見ていて楽しいことが多いのだが、私としては遊びに行っているわけではない。翻訳とはいえ自分の書いたせりふがうまく機能するところ、機能しないところを実体験できる勉強の場なのだ。
 あらためて思うが、せりふは「読む」ためのものである以前に「言う」ためのものだ。受容されるテクストである以前に発信されるテクストである。したがってことばに、身体を通すためのリズムと流れがないといけない。翻訳の場合、むずかしいのは流れのほうだ。整理しないとアクセルとブレーキを交互に踏んでるようなゴツゴツした流れになる。それでは役者の演技に一定の方向性が生まれない。けれども整理しすぎると今度はことばが薄っぺらくなって役者が内面を作れない。つねに日常をどこかで超える「演劇的過剰性」がなければ劇が進行しない。すべては微妙なバランスの上にある。
 こういうことは、ほんの一例。演劇の翻訳者に求められるもの、それは一言でいえば「繊細さ」に尽きる。この週末もいい勉強になりました。