クロディーヌ・ガレア資料 その1

クロディーヌ・ガレア Claudine Galéa 資料

 1960年生まれ。マルタ島でアルジェリア出身の父、モロッコ出身の母の間に生まれる。(一部にマルセイユ生まれ、と記す資料あり)。成長したのはマルセイユ、後年パリに暮らす。
 文学を修めた後、女優として活動を始めるがほどなく舞台作品、ラジオ作品の執筆に専念するようになる。小説や子供向け読み物の執筆もするほか、日刊紙ラ・マルセイエーズで文芸批評を担当している。ヨーロッパ演劇を扱う演劇雑誌「ユビュ」の編集委員。


作品一覧(近年のものを中心に)

青少年向け読み物 *日本語題名はいずれも仮訳。
– Sans toi 2005 あなたがいなければ
– MêmePasPeur 2005 こわがらないで
– Entre les vagues 2006 波間に
– Rouge Métro 2007 赤いメトロ
– A mes AmourEs 2007  愛するエスに
– Au pays de Titus 2008 タイタスの国
– Un amour prodigue 2009 惜しみない愛
– Le corps plein d'un rêve 2011 夢いっぱいの体
*これらの書物はGoele Dewanckel(画家)とのコンビで作られることが多い。

一般向け小説
– L'amour d'une femme 2007 ひとりの女への愛
– L'invitée 2008 招かれた女
– Morphoses 2006 モルフォーズ
– Le bel échange 2005 美しき交換
– Jusqu'aux os 2003 骨まで
– La règle du changement 2007 変化の法則
– Chronique d’une navigation 1996. 航海日誌

舞台作品
– La Nuit MêmePasPeur & Petite Poucet, 2010 こわがらないで&親指姫
– L'heure blanche & Toutes leurs robes noires, 2009. 白い時間&彼らの黒いドレスすべて
– Au bord 2010 ほとりで
– Les Chants du silence rouge 2007 赤い沈黙の歌
– Je reviens de loin 2003 わたしは遥から帰ってきた
– Les Idiots 2004 白痴たち
– Le monde est mon potager 2004. 世界は私の菜園である

そのほかマルセイユを中心に活動するパフォーマンス・ユニット N +N Corsino(メディアミックス主義の作品を作る)に提供したテクスト、モロッコ出身の作曲家アメッド・エサイドのオペラの台本も執筆した。自作のリーディング公演ではジャズ奏者のLoris Binotと共演することが多い。

 2011年フランス劇作大賞を『ほとりで』が受賞。これはイラク、アブグレイブ収容所におけるアメリカ軍によりイラク人捕虜虐待の写真を題材にして、政治的テーマを内面化することで人間性のありかを問う作品であり、そのエクリチュールにはきわめて力がある。

<作者のことば>
◇ 私は2005年に『ほとりで』を書きました。これまで何度かリーディング公演を重ねました。読み手は女性ひとりのときもありましたし、音楽家を交えてのときもありました。「フリクション」という雑誌に掲載した活字版は、フランソワーズ・ルブランによってリーディングが行われたときの台本を底本にしています。
◇ この作品は上演されるたびに観客に激しい反応を引き起こします。それが作品への感謝になるにしろ、反抗になるにしろ、ことばがことばを呼び寄せ、いくらかの沈黙を経た後に心と観念の再生が行われる形式を持っているのです。
◇ この作品は通常の意味での戯曲ではありません。アルチュール・アダモフの名作の題名を借りれば、今日では演劇は「オフ・リミット」(=立入禁止区域)なのです。
◇ 私たちが見慣れないものであるがゆえに強く訴えてくるもの、それはひとりの女性が死刑執行人の立場にあるということです。このイメージが政治的問題、市民的問題を提起します。議論の端緒となるのです。人々の声(パロール)を分かち合える唯一の場所、それが劇場です。
◇ 近年の私は観念や文からではなく、イメージから作品を発想しています。大事なのはイメージ=風景であり、そこを歩いていくムーヴメントという要素です。テクスト上での運動です。ハントケが言っていますが「私には何もいうことがない、だからこそ私は書く」のです。

<『ほとりで』に対する新聞論評> 
◇ 本年から国立演劇センターが劇作家ならびに出版社を対象にした「劇作大賞」を授与することになった。第1回めに選ばれたのはエディション・エスパス34刊行のクロディーヌ・ガレア作『ほとりで』である。作品は独特な力強さをそなえ、行を追うごとにその簡潔でありながらも震えるような波動を持つエクリチュールは「綱」をめぐって展開し、「ほとり」、「めまい」にまで到達する。これは刃のように鋭く私たちのなかを横切り、余計な装飾なしにスパッと切り裂き、めざすところへ直進する刃である。その刃はイメージの中に入り込み、イメージを切開して見せる。私たちはこうしたイメージを横断しながら無傷ではいられないながらも、どこか心の安らぎを感じる。何かが救われたような気になるのだ。
◇ 直截的かつ省略的な、短い作品である。句読点が省かれたシンプルな語と文からなるこのテクストが描こうとするのは、名づけえぬもの、目には見えないもの、思考しえぬものである。それらが作者自身の絶望や、女性であることをめぐる思考、男/女の関係をめぐる思考、自我を世界に投影することをめぐる思考、友情の愛、あるいはエロスの愛をめぐる思考を通して表現されているのである。
◇ 作者はこの写真を画鋲で壁にとめ、そして1年を経た時点からことばを紡ぎ出した。名づけえぬものを名づけたのである。そのエクリチュールを貫く作者の思惟は読者を動揺させることによってひしひしと伝わってくる。
◇ 世界中に流布した衝撃的な写真から出発して、クロディーヌ・ガレアは現代の残酷さの極限においてメディア化されたものが内面と向かい合う地点を見出している。内面はそこでは迂回ないし屈折を余儀なくされる。
◇ イメージの暴力性は目を覆いたくなる。しかし彼女のエクリチュールは侵犯的で、かつ催眠的でもある。わたしたちは知らず知らずその中に閉じ込められてしまう。