01-009 海賊の歌

 フランスの海賊の歌をたまたま見つけて聞いた。コルセール・ドゥ・サン=マロというう歌だ。フランスはブルターニュ地方、英仏海峡をのぞむサン=マロを根城にしてイギリス船を襲った、コルセールと呼ばれる海賊の歌である。古くから伝わる民謡のようなものなのであろう。サン=マロに生まれ育った人ならばみんなが知っている歌にちがいない。なかなか味わいのある、哀愁すら帯びた歌である。だいたいフランスの地方に伝わる民謡には、とりわけワインの産地として名高いところの歌などは、ひたすら、酒はうまい、飲め飲め!、と素朴すぎるくらい素朴に謳歌するばかりのものが多いが、それに対してこの海賊の歌には全体にわたって起承転結があるところがすばらしい。

 コルセールは便宜的に「海賊」と呼ぶことにするが、本当は海賊とは異なる存在である。海賊は単なる海の盗賊であるが、コルセールは政府公認の略奪民兵といえばいいだろうか。「私略船」と訳されているがそう訳してもなかなか違いがわからない。戦利品は国庫、出資者、乗組員に所定の比率で分配されたと事典にはある。けっこうな利益が出たらしい。

 海賊王はジャンという名前らしい。歌は彼がいかに強いかを称え、イギリスの船を略奪して戦利品をかっさらう様子を描く。ところがある船を標的にして乗り込んだら、それが無人の船だった。甲板には船内にペストが発生したことが書かれてあった、という筋立てなのだ。

 ところでその第2節にはジャンのいでたちが描かれている。それによるとジャンは義足で、片目に黒いバンドを巻いている。これで鉤フックのついた義手まで揃っていれば言うことがないのだが、つまりはマンガでも絵本でもきまって海賊といえばこれ、といういでたちである。この歌の成立がいったいいつに遡れるのか今のところ調べがついていないが、コルセールの活動が全盛期を迎えたのは17世紀のこととされるから、一応その時代にはすでに「海賊ルック」が成立していたことになる。

 歌を聴いているうちに、海賊はどうして片目なのかと疑問が湧いてきた。略奪と戦いに明け暮れるのだから脚ぐらい負傷して、切り落とされることはあっただろう。同じように腕だって失うこともあるだろう。しかしながら、海賊の象徴ともいえるくらい、みんながそろいもそろって目を傷つけるなどということがあるのだろうか。

 余談だがフランスでは古典的な小噺に海賊をネタにしたものがある。脚も腕も戦いで失ったと話す海賊に、じゃあ目はどうしたのか、と聞くと、海賊が「これはハエが飛んできたから」と答える。まだ義手に慣れてなかったときにハエを追っぱらおうとして目を傷つけた、というのがオチだが、実際にはそんなことがあるはずない。

 海賊の「片目」について調べているうちにこういう話があった。海賊は夜、闇のなかで略奪を行うので暗い所でもよく物が見えなければならない。そのためには片目を常に光が入らない状態にしておいて、いざというときに暗い所でその目を使うというのだ。つまりアイパッチと呼ばれる黒い眼帯を装着することで、暗い所で利く目を養成していたのである。いわば職業的理由である。これはたいへん説得力がある。それが海賊の生命線であるからこそ、海賊の頭領だけがしているのである。またドクロの絵を描いたりして目立たせているののもそれゆえであろう。

 けれども海賊をめぐる想像力はこうした事実を外れて、海賊は戦いで片目を失っているものなのだという神話を誕生させた。