読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

01-007 電子書籍の時代

 世の中の流れは紙の書籍よさようなら、電子書籍よこんにちはである。こういう流れは変えられない。じつは先週から毎日1000字のエッセーを書き継ごうと本気になったのも、1000字エッセーが200本くらいになったら一巻のエッセー集として電子出版する計画があるからなのだ。

 ベレ出版という出版社からわたしは3冊のフランス語学習書を出版しているが、それもこのほど電子書籍化する契約を行った。(『しっかり学ぶフランス語文法』『フランス語会話パーフェクトブック』『フランス語トレーニングブック』)これは端末に関係なくさまざまな方式の電子書籍をカバーするものになるらしい。いずれ書店から姿が消えていくことになるのはさびしいが、実際には都内でもいくつかの大手書店にしか並んでいないものなので、電子書籍化することで人々の目に触れる機会は飛躍的に増えることになる。書籍の売り上げがどういう変化を見せるかは分からないが、目下のところ日本には圧倒的に電子書籍の点数が足りないので、あながち悪い方向に推移するばかりとはかぎらない。夢もあるのだ。

 ただし電子書籍にも欠点がある。それは紙として出力することができないことだ。

 人間の能力はつねに道具と相補的な関係を保ってきた。わたしの父親などは毛筆ですらすら色紙に俳句なんか書いたりするが、わたしにはそういうことができない。でもわたしは父にはできない、パソコンを前にかなりのスピードで文章を書くことができる。しかしながらそういうわたしもスマートホンで読書感想文くらい電車のなかで書いてしまう娘のような能力はない。

 わたしはもちろん外国語を紙の辞書を使いこなして身につけてきた世代である。だから今でも初級レベルの外国語学習には紙の辞書が不可欠だと思っている。そして教室ではそういう指導もしている。電子辞書では経験できない、手でページをたぐりながら触覚と視覚でそれまで身につけてきたものに一瞥をくわえながら新しい知識を獲得する、というプロセスが絶対に効率的だと考えるからだ。また、人間の記憶は場所と密接につながっている。紙の辞書の紙面の、あのへんにあったな、という感覚がなければたくさんの単語を記憶することは難しいのではあるまいか。

 それを考えると電子書籍による外国語の学習書がはたしてどのような知を生み出していくのか、あるいは学習能力をひたすら退化させるものなのか。しばしなりゆきを見守りたい。