01-003 洋食屋のトンカツ

 その日、私はお腹がすいていた。歯医者の勧めで親知らずを抜いて、しばらく柔らかいものばかり食べていたので硬いものが食べたくて、しかもお腹がすいていた。だから、ときどきランチを食べる洋食屋さんで、硬そうなトンカツを食べている客がいたのを思い出して寄ってみた。それは都内にいくつか店があるチェーンの洋食屋で、調べてみるとさるマイナーなコンビニエンスストアが経営している店である。けれども料理はかなりきちんと作っているし、サービスも全然マニュアル風ではない。昔風の味をねらっているのも気に入っている。

 わたしは格別トンカツに思い入れがあるわけではないのだが、上野に一軒だけ贔屓にしている名店がある。なんでもトンカツ発祥の地は上野なのだそうで、上野には名だたるトンカツ屋が多い。そのなかにはまるでフランス料理のコース料理の値段かしらと思うような高級店すらあるが、わたしが行くのはかなり庶民的な価格の店である。しかし、そこはおいしいのだが、あまりにもトンカツであるという味がするところが善し悪しだ。

 わたしはヘンなことを言っている。トンカツがトンカツの味をしているから厭だと言っているのだ。そんなことを言われたらトンカツだって迷惑にちがいない。でも、一概に同じ名前の品でもそれを上下の階層で高級化するのではなく、水平方向へずらして個性化するほうが面白い。安い凡百の豚肉よりも大事に育てられた銘柄の豚、サラブレッドの高級豚?で作るトンカツがおいしいにはちがいない。値が高いものがおいしい、という当たり前のことは、事実としては認めるが思想としてはそれを信奉できない。

 なにを難しい話をしているのだ。トンカツを洋食屋で食べるのだ。わたしがそこに期待するのは洋食という文脈のなかに「翻訳」されたトンカツである。

 で、はたしてどうであったか。これは期待を裏切らないじつにトンカツらしからぬ良いトンカツであった。肉は硬くて厚い。けれども噛み切れないわけではない。ロースなのに脂はほとんどない。充実した「肉」の体験である。これをいかにも洋食屋のノウハウが詰まった酸味の強い特製ソースにつけて食べる。たぶんトマトとバルサミコがいっぱい入ってる。

 柔らかで脂身があるカツに甘いソースをかけて食べる。そういう当節の傾向に背を向けた見事に反時代的なトンカツに喝采を送りたい。