歩きたい

 中学生がテストでI live in Tokyo.という文を「過去の文」にしなさいという問題に、Il live in Edo.と解答したという笑い話がある。江戸に暮らしてみると、だいたい下町を中心にして、北は千住、西は新宿、南は品川、各街道の宿場の先へは行かない範囲で人々は歩いて移動していた。片道1時間歩くつもりなら、けっこうな範囲をカバーできるのではなかろうか。もちろん、都心から八王子の大学に通うなどという芸当は中央線や私鉄がなければできない。
 太宰治の小説を題材にした映画『桜桃とタンポポ』には戦後すぐの中央線の様子がでてくる。路面電車のような小さな車両がトコトコ走っているだけだ。こんなものに乗って立川の方まで行ったのかと思うと隔世の感がある。しかし、青梅マラソンなんていうイベントがあるわけだから、江戸時代にマラソンの選手がいたら新宿から多摩のほうへ毎日通うのも不可能ではなかったかもしれない。
 東京から新宿までの中央線は「谷間」を縫うように走っている。それは駅の名前を見れば一目瞭然、千駄ヶ谷、四谷、市ケ谷となっている。飯田橋あたりから川辺になって飯田橋、水道橋、お茶の水と水回りになってくる。
 こんな話になったのは、足の怪我で歩けない生活が続いているので、歩くことに恋しさを覚えるからだろう。それでもかなり持ち直しているので、医者になんとかお願いをしているところだ。―先生、金曜日の夜はどうしても歩きたいのですが、と。