鍼の神様

「肉離れ」ということばは、子離れ、親離れみたいでベストではないと思っている。命が尽きて魂が「肉離れ」するなら分かる。医者は単に挫傷という。
 ふとしたことから肉離れを起こして十日少し経って、毎日通っている整骨院に今日は「鍼の神様」がいた。院長の恩師という人物が特別に手伝いに来ている日だったのだ。
「ラッキーですね。鍼を打ってもらいましょう。すごいですよ」
と言われるがままに寝て待っていると、院長が「神様」に説明しているのが聞こえた。
「この人は夜中にマンホールを持ち上げようとして脚を傷めてるんです」
「あ、そういう仕事なのね」
「いいえ、個人で・・・」
 仕事じゃなくて「個人で」というのはどういう意味なのか分からないが、私にしてもべつに趣味でマンホールを持ち上げたわけではない。事情は省く。
 ともかくそんなことは「神様」にとっても私にとってもどうでもいいのだ。今、どこがどうすると痛むのか、問題はそれだ。
 神様は痛む私の左足を肩(私のではない)にかけながら、いろいろ角度を変え、痛いかどうか訊きながら、なぜか私の「右足」の足首とか、右腕の肘と手首の間に鍼を打つ。
「はい、立って歩いてみてください」
 やはり「神様」はイエス・キリストのようなことを言う。
 世の中にこんな不思議なことはそうあるものではない。見事に痛みが消えているではないか。私は思わず、二千年前のナザレの地に鍼灸術が伝わっていたという仮説を立てた。