ショスタコヴィッチを聞く、とは

ショスタコヴィッチ 交響曲第4番
近頃はどういう風の吹き回しか、ショスタコヴィッチを聞くことが多い。ハンナ・チャンの弾くチェロ協奏曲なんか名品だと思うし、アルゲリッチのピアノ協奏曲もさすがの冴えを見せてくれる。そういう名演はそれとしていいのだけれど、ショスタコヴィッチを聞くという意味は、なんかそういうバロックからストラヴィンスキーあたりまでのクラシック山脈を聞く体験とは決定的にちがうように思うのだ。なぜならば、交響曲や弦楽四重奏がとりわけそうだが、ショスタコヴィッチを聞くことは、それほど快樂的な体験ではないのである。場合によっては苦行に近いと言ってもいい。
じゃあ何でそんな苦しい修行をしてるのかと聞かれたら、どう答えたらいいんだろうか。まだ、はっきりとした自分なりの結論じゃないのだけれど、これは「聞く」というよりは「考える」という経験に近いような気がしている。
ご承知のようにショスタコヴィッチの音楽は、スターリンに殺されないように言いなりになった側面と、腐ってもモダニズム作曲家であり続けようとする自負の側面がある。この身の処し方を、私は音楽を通して考えたい、教えてもらいたいと思うのだ。
歴史はスターリン粛清から80年くらい経って、今の資本主義権へと反転してきたように思うのだ。かつての原理だった社会主義リアリズムと、目下の原理であるグローバル市場原理と、ともにその外部へと異物を放逐、抹殺し続けている点では同じではないか。
ショスタコヴィッチが生きるためにはソ連当局と折り合いをつけていかなければならなかった。それと同じように、私たちも市場原理と折り合いをつけていかなければならないわけだから・・・
第5番の有名な「革命」はショスタコヴィッチが「革命」を表向き賛美してスターリンのご機嫌を取ったかのように見せかけて、じつはペロっとパロディの舌をだしているところが、らしいのだが(そういう演奏をしてほしい!)、もっと素晴らしい曲が幾らもあると言いたい。
そんなことを考えながら、今日は交響曲第4番。こっちのほうが断然、すごい曲である。なにしろ、これはヤバイっていうんで作曲者が初演を引っ込めちゃった、いわくつき。私的におすすめは全曲聞けるゲルギエフ指揮の演奏。でも、長いよぉ、これは。