イエリネク『光のない。』

 イエリネクの『光のない』のリーディング。最大限にパフォーマティヴなものを見た。これは長谷川寧の演出による成果。特定の音を強調するヴォカリゼーションで作られるリズムはテクストのアナグラム的な無意識を切開していく。異化的にはさまれる「注釈」や、すばらしいパーカッションとテクストの呼応はじつに心地よいが、確実に何かが抉られてくる。ここに書かれていることは、こうしなければ絶対に伝えられない世界なのだ。放射能に汚染された世界においていかなる人間の生がなおも可能なのか?その状況をイエリネクは音が聞こえなくなっても演奏し続けるバイオリンの二重奏のメタファーを駆使して、圧倒的な狂乱的ダイアローグに変容させる。
 わずか数日の準備で仕上げられる「リーディング」が、いかなる「演劇」よりも深く演劇的でありうるか。その可能性をめがけて歩んできた者のひとりとして、この公演の成果は特筆に価する。ジャリではないけど、再び叫びたくなった。「演劇における演劇の無用性について」!