絵画と演劇

 ミュラーの『画の描写』と、ローアの『言葉のない世界』という、絵画をめぐる2つのテクストをならべるリーディングのプログラムは魅力的だ。そもそも演劇は絵画を語ることができるのか?音楽になることは容易だとしても、演劇は絵画になることができるのか?(ミュラーがディドロの舞台=タブロー論を意識していたかどうかは知らない)。
 おそらくそれは空間を時間に変換する行為、視線を物語に変容させる行為、その可能性/不可能性をつねに問う行為と重ね合わせられなければなるまい。間違ってはならない、この演劇の営みは、絵画を音からの想像によって再現することではけっしてない。
 ミュラーのテクストは東側から西側へ向けての希望の模索だという。ローアのテクストはアフガン空爆以降の西洋社会への絶望に立脚しているという。合わせ鏡のようにならぶこれだけの主題系のいずれにも言及するしぐさひとつみせない演出は宝の山に気づかなければならない。