クワン・タワさんの教え

 ずいぶん長い間、ひとつの問いを宙吊りのままにしてきた。サルトルの問いを大江健三郎がひいたもので「飢えた子の前で一篇の詩が何の役に立つ?」というアンガジュマンの問いだった。大江の解答は、現実には無力な詩だが、子が飢えることを許さない倫理に詩は奉仕する、というものだった。だが、そんな倫理は詩があったってなくたって存在する。
 先日、カメルーンから来た詩人のクワン・タワさんの話を聞いて、再びその問いがよみがえってきた。映画館も劇場もない、ろくに書物さえない地点から、クワン・タワさんは詩や演劇を生み出し、人々の心を耕している。生きるために切実な問題を抱えた社会、それは圧政や飢餓に苦しむアフリカも、原発や不況のなかで身動きが取れない日本も同じだ。その切実さのまっ只中に詩を命中させることの意義をクワン・タワさんは教えてくれた。サルトルの目に前には居なかった飢えた子がクワン・タワさんの目の前には本当に居る。