リアリズム演劇論2 2011.10.07

リアリズム演劇論(2)
  −ディドロの演劇論を中心に−

1.「ドラマ」dramaとは?
・ギリシアではdrama=action
・ メルシエやディドロによって旧来の劇(とりわけ「悲劇」)に対立する劇の呼び名として用いられた。
dramatiqueという形容詞の形で頻出。
・ ディドロは「ドラマ」を「悲劇」と「喜劇」の中間タイプ、混合タイプと考えた。
・ このときに同時にヴェガ型の「悲喜劇」も斥けられている。

2.「ドラマ」対「古典」
・「真実」=ドラマ VS 「真実らしさ」=古典
・「日常」=ドラマ VS 「例外」=古典
・「特殊」=ドラマ VS 「普遍」=古典

・ 題材の同時代性
・ メルシエは「社会の悲惨」を描くとまで言っている

・「散文」=ドラマ VS 「韻文」=古典
・「会話」=ドラマ VS 「長台詞」=古典
・「時の単一」、「場所の単一」は放棄。(「出来事の単一」のみ尊重)

<イリュージョン>
・「第4の壁」(=観客の存在を前提としない舞台構成、演技)
・ 「幕」17世紀からしだいに普及。18世紀に一般化した。
・ 聴覚型の舞台芸術から、視覚型の舞台芸術への転換?

3.リアリズムと俳優の問題
・舞台前面で動かずに台詞を朗誦する(古典悲劇)
・舞台横のベンチ席が取り払われて、演技空間が広がった。
・ イタリア演劇の、生き生きした運動性。17〜18世紀。

<ディドロ>
・ 「ことば」に「動作」の力を対置させた。と、同時に「ことば」「動作」「音楽」の3要素から舞台を構成する視点を明らかにした。加えて「ダンス」もディドロの考えには入っている。
・ 舞台上の人物の構成、配置にも言及している。

『俳優についての逆説』
プラトン的な「俳優嫌悪」(嘘を演じる)に対抗する理論。incarnationの理論(なりきり型演技)
=「演じられる人物」と「演じる人間」の感情の一致。(ルイジ・リッコボーニ)
・ ルイジ・リッコボーニの息子、フランソワ・リッコボーニは「演じられる人物」の感情は、「演じる人間」の俳優としてのテクニック(非同化的)によって達成される、と主張。
・ ディドロもこの考え方を支持し、演技におけるinsensibilité「無感情」を主張。感情過多の演技が演劇を凡庸にすると言う。「自然」⇔「俳優」。すべての演技的感情は、俳優によって研究されうる技術である。
・ イリュージョンを発生させる技術。