舞台芸術を考える(学習院大学)2011.09.30 提示資料

* 前期はさまざまな切り口から「一口に」演劇を切って概観を得た。後期は掘り下げて演劇の問題系を考察していく。
* 劇場見学会「あうるすぽっと」(未定)

リアリズム演劇の系譜 1
序)日本にはない演劇だった。明治以降に西洋演劇として移入された「新劇」。現実を「再現」する演劇。その歴史的系譜は?

1) 西洋近代劇の従来的図式(ナショナリズム史観)
古代ギリシア悲劇→(中世演劇)→イタリア・ルネサンス
・ →スペイン・バロックの過剰性・奔放性/エリザベス朝演劇(シェイクスピア
・ →理性による抑制、の結果17世紀古典主義の開花(=コルネイユラシーヌモリエール
<古典悲劇>
・ 3単一の法則(時の単一、場所の単一、行為の単一)
・ 5幕
・ 12音節韻文劇
ラシーヌによる厳格な様式化と演劇言語の純化の極地。
* 「行き過ぎ」を笑うモリエール喜劇
モリエールラシーヌによる「フランス語劇」の完成(フランス文化の確立)
ヴェルサイユ宮殿=世界の中心

2)疑念
=1)はナショナリズム史観として、ナポレオン時代ないし第3共和制で確立した可能性大
・ 17世紀演劇への総合的なまなざし→スペインの模倣があまりに多い。
ルネサンスにおける古代ギリシアの模倣的復活、はバロック・オペラが担ったのであって、演劇はむしろ下位ジャンルではないか? 言語劇を優位におく逆転にこそナショナリズムを見る。
・ スペイン・バロックから18世紀の非=悲劇演劇論の系譜にこそ、近代演劇の流れがあるのではないか?

3)「ブルジョワ劇」の系譜
・ 古代に範を仰ぐことの拒否→フランスでの「新旧論争」
・ 普遍演劇から国民演劇へ(ドイツ、イタリアへ影響)
・ リアリズムが規範になっていく

4)スペイン・バロック
 ロペ・デ・ヴェガ(16〜17世紀)
・ 行為の単一は遵守したが、場所の単一、時の単一は無視した。
・ 悲劇/喜劇の混交=「悲喜劇」を提唱(涙と笑いのドラマツゥルギー)
・ ギリシアの模倣よりも、観客の趣味を優先;「観客」=新興ブルジョワジー(貴族の「血の論理」に「金の論理」で対抗)
5)18世紀啓蒙時代の「演劇」
  ・ 演劇論 ディドロ、ルイ=セバスチャン・メルシエ
・ 「倫理」と演劇の問題。悪を描くな!(cf.明治初期の歌舞伎改良)。古代悲劇は殺人と邪な愛ばかり!→演劇による市民道徳、「人間性(ヒューマニズム)」の育成
→「市民」の育成、人権宣言の思想
・ 新興ブルジョワジーには「悲劇」が絵空事に見える。文化的覇権の交替。→リアリズムを要求する感性。英雄、王、神話としての人物ではなく、市井の等身大の人間を描いた国民演劇を作ろう。
・ 「リアリズム」という語を用いて、悲劇と喜劇の融合を説いたのはヴォルテール
ボーマルシェフィガロの結婚』の成果

6)ディドロ Discours de la poésie dramatique
  ・「理性」から「感情」へ。「感性」に訴えかけることで道徳を育てなければ。
  ・求められるドラマ:美徳/正義に対する試練の数々→美徳/正義の勝利(⇔悲劇の文化)
    【雑】悲劇を必要とする文化と、正義劇を必要とする文化がある。私たちの居る地点は後者だ
ろう。刑事もの、戦隊系、幸せへの一代記などみな、このパターン。
  ・ドラマを通して、観客が一体的な社会を形成できる。

7)ルソー 「ダランベールへの手紙」
  ・ほかの芸術とは違って、演劇は「危険」である。イリュージョンを用いた「再現」だからだ。
・ 演劇こそ「悪」。(プラトンと同じ考え)
・ ルソーは「再現」を退けて、民衆の「祝祭」(たとえばパレード)を賞賛する。
・ 演じる側と見る側の峻別も、ルソーは嫌う。

(次回は「イリュージョン」の問題」