ウジェーヌ・ラビッシュ 作 オム・アルメ通り8番地2号 第一幕

オム・アルメ通り8番地2号


       ウジェーヌ・ラビッシュ 作
       佐藤 やすし      訳





登場人物
 シュヴィヤール(レストランのオーナー)
 クリケ
 アントニー(公証人見習い)
 クルヴェット爺さん(門番)
 グルヌイヤール(新聞記者)
 フォランビュッシュ氏
 紳士
 歩哨
 軍の衛兵
 子ども
 トト(子ども)
 ローズ・パトリアルシュ
 アマント
 フォランビュッシュ夫人

 レストランの客たち
 軍の衛兵たち
 民衆






第1幕

(レストランの中。奥に入り口があって通りに面している。扉の両側には料理のサンプルを並べた台。その台と扉との間には壁付けテーブル〔コンソール〕が2台。その上には皿、グラス、ナプキンなどが置かれている。下手の台にはラム酒の瓶と小さなグラスが2つ。上手には扉が2つ。第一の扉には「サロン」の表示。第二の扉には「個室1、3、5,7号室」の表示。下手にも扉が2つ。その第二の扉は料理を出す回転台として使われている。扉には「厨房」の表示。舞台にはクロスをかけて皿を並べたテーブルが左右にひとつずつ。椅子もある)


第1場(クリケ)

(クリケが一人でテーブルを整えたり、グラスや皿を磨いたりしている。第2場の冒頭までそうしている)

声(上手からオフ) おーい! おーい!
クリケ はい、はーい!
ビフテキ・ポテト、4人前!
クリケ はい! はーい!・・・やべぇ、切らしちゃったんだよ・・・たった今、ラストが出ちゃってさ・・・いいや、ウナタルでいきやしょ・・・(厨房に向かって)ウナギの照り焼き、タルタル・ソース、4人前!
声(厨房から)オーッス!
クリケ 今日はステーキの代わりにウナタルで・・・


第2場(クリケ、アントニー)

アントニー (入り口から入ってきて)やあ!
クリケ これはこれは、見習い公証人のアントニーさま。
アントニー こんにちは、クリケさん。
クリケ ディナーでございますか?
アントニー そういきたいところだが、あるんだよ、もっといいことが。改革派の大パーティーだ。
クリケ いつもは、その前にもお召し上がりでいらっしゃるのに・・・ああ、そうでしたか、あれは今日でしたか。
アントニー ああ、1848年2月22日だ。
クリケ ところでアントニーさん。
アントニー 何だ?
クリケ 「改革派」ってのは「改良派」ってのと一緒なんですか?
アントニー 大違いさ。改革派はまず、財政の無駄遣いをやめさせようとしている。
クリケ なるほど、だからパーティーの前にメシを食わない・・・まったく、こっちにしちゃ、いい迷惑ですぜ。

(ソング)「山の音楽家」

わたしゃ改革派 山の子リス
じょうずに財政 スリムにしましょ
        キュキュ キュ キュ キュ
キュキュ キュ キュ キュ
キュキュ キュ キュ キュ
キュキュ キュ キュ キュ
   いかがです

わたしゃ改革派 山の小鳥
じょうずにおなかも スリムにしましょ
       (語り)
牛丼は豚丼に、改革!
うな丼はあなご丼に、改革!
ビールは発泡酒に、改革!
    (歌) いかがです

無駄はあるもんです、なにしろいちばんの無駄は使用人だ。
アントニー 信じられるかい? この時代にも公証人の見習いに選挙権がないんだぞ。選挙もできないんだよ。
クリケ それが何です。あたしら使用人にだってないんです。そのほうが問題です。
アントニー 使用人なんか後回しでいいんだよ。
クリケ あ、あなたまでそんなことを・・・どうせ使用人はバカですから!
アントニー ところで、シュヴィヤールの親爺さんはどうした? 親爺さんから、用があるから寄るように言われたんだ。
クリケ (気を取り直して)向かいのカフェですよ。ビリヤードやってるんでしょ。
アントニー いいご身分だねえ。
クリケ どうせ使用人はバカですから! 選挙権もないんです。
アントニー でも、親爺さんは・・・
クリケ お昼から4時まで遊んでるんです。ほんとに優雅なもんですよ。
アントニー 親爺さんはこのレストランのシェフじゃないか。
クリケ だからって不動産の事業をやめるわけじゃなし。いい家に住んでるのに・・・本当ですよ、金のほうから転がりこんでくるんです。まあ、カブを煮込んでるうちに、株に手を出したというか・・・どうせ使用人はバカですから!
アントニー どうでもいから、親爺さんを呼んでくれよ。
クリケ (傍白)怒らしちまった。(会話声で)ちょっとお待ちを!(扉を開けて叫ぶ)お!い!え!う!
アントニー 何してんの?
クリケ 親爺さんを呼んでるんです。
シュヴィヤール(オフ)お!え!え!う!
クリケ 来るそうです。(下手の台の上のラム酒の瓶とグラスを持って、再び置く)ラム酒でも一杯いかがです?
アントニー いただきます。
クリケ ラム酒にはうるさいクチでいらっしゃいましたな。(上手の台のグラスを取って)こっちのほうが上等ですから・・・どうせ、使用人はバカですから!・・・(傍白)いつか、ぎゃふんと言わせてやる。今はこんな身の上だが、いつかキラキラ輝いてやる!
声(上手から) おーい! ステーキはまだか!
クリケ はーい、はーい。(アントニーに)乾杯!






第3場(前場の人物に加えて、シュヴィヤール、クルヴェット爺さん)


シュヴィヤール  (ビリヤードのキューを手に持ったまま玄関から入ってきて、クリケのグラスを奪い取り)乾杯!
クリケ (下手に離れて)だんなさま!

(歌)シュヴィヤール
わたしゃ レストランの
オーナーシェフ
脂肪もお金も 貯えてみましょ
ポコ ポンポコポン
ポコ ポンポコポン
ポコ ポンポコポン
ポコ ポンポコポン
いかがです

(シュヴィヤールはラム酒をクイッと飲み干す。クリケに)歌は、息が切れるね。(クリケがグラスを台に戻しに行く。アントニーは自分のグラスを上手のテーブルに戻す)

アントニー シュヴィヤールさん、私にご用とか・・・
シュヴィヤール 大きな売買があって公証人が必要でな。クリケ、アントニーさん、
あんたらは私を幸せな男だと思っているだろう。
クリケ どんでもない! 可哀想だと思ってますよ!
シュヴィヤール ビリヤードには勝った。ラム酒も飲んだ。こんな幸せな男はほかに
おらんだろうに。2人ともバカか!
アントニー はぁ?
シュヴィヤール つまりだ、このクリケは私の使用人であるからして、そう言える。
こいつの賃金は私が払ってるんだからな。
クリケ (傍白)どうせ使用人はバカですから!
シュヴィヤール ところがだ。私は幸せではないのである。心が虚ろだ、ボーッとし
ている、暗い気分だ。悩んでいるのだ。
クリケ じゃあ、私と変わらないすね。だんなさん、お分かりですか、この店に何が欠けているか?
クリケ 女です。だんなさんが愛して、結婚してもいいな、なんて思う可愛い女です。そういう女がカウンターの中にいたら、俺たちうっとり眺めて・・・だんなさん、結婚しましょ、結婚!
シュヴィヤール  結婚するのもやぶさかではないが、安くて新鮮で活きのいい女が手に入らないとな・・・それはそうと、今の今、私を悩ませ、苦しめ、また、私が夢見、憧れているのは・・・女じゃない。
アントニー じゃあ、何なんです?
シュヴィヤール 笑うなよ・・・屋敷だ。
クリケ&アントニー 屋敷?
シュヴィヤール そう、私は自分の石がほしいのだ、自分の階段がほしいのだ。自分の玄関が、窓が、鍵がほしいのだ。私の屋敷だ、私の屋敷だ、と言いながら歩き回ってみたいのだ。
アントニー こりゃ病気だ。
クリケ 歯痛みたいだ。
シュヴィヤール 屋敷があったら、慈しみ、手入れして、真綿でくるんで可愛がって・・・
クリケ そいつは夏はかなわない。
アントニー ああだこうだ言ってないで、買ったらいんですよ、屋敷を。
シュヴィヤール (謎めかして)シーッ! それだ、見つけたんだよ。
クリケ ほう!
声 (上手から)おーい! ビフテキ、まだか?
クリケ はーい、はーい!(シュヴィヤールに)見つけたんですか?
シュヴィヤール  宝石のような、真珠のような・・・門番がいる・・・
クリケ 門番つきの真珠?
シュヴィヤール シーッ! オム・アルメ通り8番地2号。(クリケの周りを回って)車止めがついてる通りだよ・・・シーッ!
アントニー (手帳を調べて)・・・8番地の2号・・・えーと、あ、売りに出てる。(シュヴィヤールのそばに寄る)。
シュヴィヤール そうなんだよ。そこでだ、あんたに折り入って頼みがあるんだがな・・・
アントニー 勘弁してくださいよ。競争相手だっているんですから。
シュヴィヤール  なに? いるのか? あれは私のためにあるような物件だ。なあ、相手にあきらめさえる手はないのかね? あることないこと言ってだな・・・耐震設計じゃないとか、階段が暗いとか、居住者が・・・
クリケ 改革派だとか。
アントニー いいじゃないか!
シュヴィヤール 相手も一目ぼれなんだな。一度あの姿を見てみろ、そりゃあ惚れちまうさ。魅力的で・・・(舞台中央に出てくる)
クリケ 誰のこと?
シュヴィヤール あの屋敷だ。(アントニーに)あっちはいくら出す気なんだ?
アントニー 5万8千フランまでは。競売は今日でしたよね。
シュヴィヤール 今日なんだよ。ああ、あの屋敷が手に入らなかったら・・・あの屋
敷が他人の手に渡ったら・・・よし、こっちは6万フランまで出そう。
私の財産全部だ。資産もすべて処分する。
クリケ え? この店も売っちゃうの?
シュヴィヤール 必要があればそうする。
クリケ こんないい店なのに?
シュヴィヤール  ああ、そりゃあ、あの屋敷に比べたらな。なにしろあっちは天国だ。税金を払える身分になれるぞ。選挙権が手に入るぞ。裁判官にもなれるぞ。名士の仲間入りして国の役職に就くのも夢じゃない。今はあんたたちと同じ馬の骨だがな。
アントニー 本当にいいんですか?
シュヴィヤール つまり私もクリケも同じ身分だ。私が給料を払ってる使用人とな。
そうだろ?
クリケ (傍白)どうせ使用人はバカですから!
声 (厨房から)タルタル、一丁上がり!
クリケ (戸口に料理を取りに行く)あ、ウナギだ。(上手へ料理を運ぶ)お待たせしました! ビフテキ・ポテト4人前!(上手の第一扉から出て行く)
アントニー (シュヴィヤールとひそひそ話)じゃあ、6万ってことで。
シュヴィヤール 決まったらすぐに知らせてくれ。
アントニー ご安心を。

歌、全員「ゾウさん」
シュヴィヤール
不動産 不動産
店子がほしいのね
あのね 家賃で
暮らすのよ
アントニー
不動産 不動産
濡れ手に粟なのよ
金のなる木が
ほしいのよ
シュヴィヤール
不動産 不動産
地主になれるのね
そうよ 選挙も
    できるのよ

(アントニーが奥の扉から退場)「
シュヴィヤール (奥に向かって会話声で)知らせてくれよ!(声を戻して)あいつが
帰ってくるまで厨房に入るとするか。仕事だ、仕事。仕事でもしてり
ゃ気がまぎれる。
クルヴェット (奥の扉から登場)すみません! すみません!
シュヴィヤール ただいま係りの者が!(厨房に入る)





第4場(クルヴェット、クリケ)

クルヴェット (独白)門番なんてケチな仕事だよ。(上手のテーブル近くに座る。テーブルの上にはラム酒の瓶が残されている。それをグラスに注いで飲む)買い物、靴磨き、階段掃除。しかも次から次へだ。クルヴェット! タバコを持ってこい!・・・持ってこい! 持ってこい!・・・なるほど世の中、改革の必要があるねえ。

(上手から騒動が聞こえる。クルヴェットは瓶に栓をして、サッと立ち上がる)

クリケ (4人前の料理を持って、上手の第一扉から戻ってくる。聞こえよがしに)ビフテキは、売り切れなんですって!(観客に)失敗でした!
クルヴェット すみません! すみません!
クリケ そんな大声出さないで、そこのあんた!
クルヴェット そこのあんたとは何だ! 私は客だぞ、丁重に扱え。
クリケ ご注文は?
クルヴェット テイクアウトだ。ウチの居住者がカノジョにごちそうするんだと。何かちょっと作ってくれ。
クリケ (下手のテーブルにあるメニューをさして)メニューがございますが。
クルヴェット メニューなんか知るか!・・・おい、それは何だ?
クリケ ウナギの蒲焼、タルタル・ソースです。
クルヴェット 上等か?
クリケ あたりまえです。タルタルにはロシア産。人気のメニューで、これがラストです。
クルヴェット 食べたことがないなあ・・・どれ・・・(ソースを指ですくって味見する)ほう、マスタード入りか。ピリっとくるな。4人前頼まれている、よし、これにしよう。
クリケ (下手のテーブルのナプキンで皿を包んで)ところで、お宅はどちらです?
クルヴェット オム・アルメ通り8番地2号。車止めがある・・・私はそこの門番。(ラム酒をこっそり飲む)。
クリケ そうか、あんたかい、真珠にくっついてる門番ってのは。
クルヴェット (料理を持って)皿は後で返しに来るよ。おい、ラム酒、栓をしとけよ。誰かに飲まれちゃうぞ。
クリケ 大丈夫・・・家は悪さをしないって。
クルヴェット 家が酒を飲むか!(傍白)こいつ、頭おかしいんじゃないか?(再び指で皿のソースをなめる)まったくケチな仕事だぜ!

(クルヴェットは奥の扉から退場。入れ替わりに客の一団が入ってくる)




第5場(クリケ、グルヌイヤール、フォランビュッシュ氏―綱で犬を連れている、同夫人、子どもー夫人が手をつないでいる。彼ら客たちは奥の扉から入ってくる。グルヌイヤールが上手のテーブルの席につく)

歌(コーラス)「村の鍛冶屋」
ビフテキ オムレツ
ブレスのチキンのクリーム煮
ジャガイモ、アスパラ
鹿児島黒豚しょうが焼き
グリルにソテーに
シチューにラグー
満腹 満足
しかも安い

フォラン氏 おい!
クリケ ただいま!
フォラン氏 今日は家族そろってスペシャル・ディナーだ。
フォラン夫人 あなた、そんな贅沢。
フォラン お前のお祝いじゃないか、まずは牡蠣といこう。
クリケ みなさまご一緒で? ではサロンへどうぞ!

同じ歌(繰り返す)




第6場(グルヌイヤール、クリケ、アマント)


グルヌイ (クリケを呼ぶ)ヒュー! ヒュー! ヒュー!
クリケ 犬ですか? 犬ならサロンに入りましたよ。
グルヌイ あんたを呼んでるんだ。(立ち上がって)私はある女性とここで会う。
クリケ 何をお出ししましょう。
グルヌイ オマール、個室、アイスクリーム。
クリケ アイスクリームと個室はございます。が、あいにくオマールを切らしておりまして。メニューにバツがついています・・・まだお付き合いの浅いお相手でしたら、グリーンピースの砂糖漬けなど、ご好評いただいておりますが。
グルヌイ いや、タラのオランダ風ソースを。
クリケ なるほど、お相手とは浅からぬ、長いお付き合いで。
グルヌイ そうだ。
クリケ でしたら、牛肉とキャベツの煮込みなどはいかがでしょう?
グルヌイ そうしよう。
クリケ (大きな声で)牛キャベ一丁!
声 (返事)オーッス!
アマント (唐突に奥の扉を開けて入ってくる)すいませんけど、40スー貸して!
クリケ いえ。(振り向いて)いらっしゃいませ。
アマント 馬車の料金、立て替えてほしいの。
グルヌイ (傍白)これは、美人だ!(会話声で)40スーですね。これをどうぞ。ちょうど家賃の支払いがあったものですから。

(グルヌイヤールが小銭をクリケに渡す。クリケは扉から表へ出て、馬車の支払いをする。ほどなく戻ってきて、奥においてある皿や食器を持って、上手の第2扉から出て行く)

アマント (傍白)まあ、なんてご親切な方。(会話声で)どちらさまでいらっしゃいますか?
グルヌイ (お辞儀をして)グルヌイヤールと申します。新聞記者をしています。
アマント 私はアマント。旅行者です。私、感激で胸がドキドキしています。小さな動物のように身を震わせています。
グルヌイ (手をさしのべて)さあ、お手を!
アマント さわらないで! 私、先ほどバスチーユ広場で行き交う人々を眺めておりました。そうしたら、いきなり子犬がそばに寄ってきて・・・
グルヌイ バグですか?
アマント いいえ、鼻眼鏡に白い手袋、ステッキをついた若い男です。キャンキャン吠えてうるさいったらありませんから、子犬と呼ぶのです。
グルヌイ ステキです。百年前の言葉づかいです。
アマント その子犬が強引に話しかけてくるんです。私はおののく鹿のように、おののくシカ、ありませんでした。私は足早に逃げ出しました。子犬は私を追いかけてくるのです。劇場の前まで来ました。マルボー劇場?
グルヌイ 何ですって?
アマント 逆でした、ボーマルシェ劇場。ところがヌカッたのです。表の張り紙を見たら「本日休演」! 子犬は私のひじをつかむんです。私、考えました、こんな子犬、そう遠くまでつきまとってくることはないわ、と。私はなおも歩き続けてコメ、コメ・・・
グルヌイ コメ?
アマント コメディ座まで来ました。(グルヌイヤールが舞台中央に、アマントはその上手側に並ぶ)その時でした、まったくお子様小僧のくせして、あの子犬、私の手を握ってくるじゃあありませんか! 私はそれを振り切ってなおも5分ばかり歩きました。今度は後ろから背中をつつかれたような気がしました。
グルヌイ それはどのあたりですか?
アマント ジムナーズ座の前でした。カッとなって振り返ったら、あの子犬、私に何と言ったと思います?・・・シュークリームでもご一緒にいかがですか?、ですって!
グルヌイ なんて甘い野郎なんだ!
アマント 私、ですからそこで馬車に飛び乗ってきましたの。

歌(アマント)『靴が鳴る』

おててつないで 彼氏と行けば
みんな可愛い 乙女になって
パリの小路に 花が咲く
セーヌの岸辺に 花が咲く

で、ここに飛び込んできたわけなんですの。で、あなたにお金を貸していただくご縁にさずかり・・・
グルヌイ ああ、あなたのその優雅な口ぶり!・・・(唐突に)お嬢さん、夕食はお済みですか?
アマント いいえ。
グルヌイ でしたら、ご一緒にいかがです?
アマント まあ!
グルヌイ 是非!(傍白)どうせ、あっちの女は来やしないだろう。(会話声でクリケを呼ぶ)おーい!
クリケ (上手の第2扉から戻ってくる)はーい、お呼びで?
グルヌイ グリーンピースの砂糖漬けをひとつ!
クリケ (驚いて傍白)まったく、これだ!(会話声で)お席の用意ができております。7番のお部屋へどうぞ!

歌(全員で) 『村の鍛冶屋』
ビフテキ オムレツ
ブレスのチキンのクリーム煮
ジャガイモ、アスパラ
鹿児島黒豚しょうが焼き
グリルにソテーに
シチューにラグー
満腹 満足
しかも安い

(グルヌイヤールとアマントは上手の第2扉から退場)




第7場(クリケ、フォランビュッシュ氏、シュヴィヤール、ローズ、クルヴェット)

クリケ (独白)あーあ、恋の瞬間湯沸かし器、恋のお急ぎお届け便。これで、昔なじみの「牛キャベ」のほうが来たら何て言ったらいいんだ?
フォラン (上手の第一扉から登場して)おーい! フォークがないぞ!
クリケ 只今お持ちします!(フォランビュッシュ氏は退場)何て言ったらいいんだい?・・・そうだ、この私めからひとつ、グリーンピースの砂糖漬けをごちそうさせていただくってのは、どうかなあ。あちらで御用済みのものはこちらで新品ってわけだ。だいたい新品なんてものは、誰かのお下がりなんだ。
シュヴィ (コック服で厨房から出てくる)さあ、こっちの準備はできたぞ。アントニーはまだ戻ってこないのか?
クリケ まだですよ。今日は大忙しですよ。個室が満席ですから。
シュヴィ 個室のことなんかどうでもいいんだよ。気が気じゃないなあ、やきもきするなあ・・・(下手へ動く)ああ、あっちが6万1千フラン出したらどうしよう、ああ!・・・

(ローズとクルヴェットが奥の扉から入ってくる。クルヴェットはトランクとボール箱をかかえている。それを上手の奥の床に置く)

クルヴェット (ローズに)ここでお待ちを。大丈夫ですよ、お嬢さん。泣かないでください。この店の人はみんな親切ですから。
ローズ (泣きながら)ええ、ええ。
シュヴィ どうしたんだ?・・・(傍白)なんてきれいな人なんだろう。
クリケ (傍白)神様、何ということだ!
クルヴェット (傍白)ここのラム酒、うまいんだよ。(上手のテーブルに行く)

歌(ローズ。ショパン『別れの曲』)
流れ星 ひとすじ
眺める 一人暮らし
涙を
ぬぐう手のひらに ああ、
寒さ しみて

さよなら さよなら
私の 幸せな日
思い出・・・
(泣く)

全員 ああ、ひどい話だ! 悲しいなあ!
ローズ (泣きながら)寒い2月の夜6時に! ああ、ああ!
クルヴェット (上手のテーブルのそばに座っている)大家のバカ野郎!(ラム酒を呷る)
シュヴィ 追い出されたのか?
ローズ はい、荷物をまとめて出て行けと。トランクとボール箱を持って。ああ、私の家財道具一式!

(シュヴィヤールはローズの右手にキスをする)

シュヴィ かわいそうに!(今度は左手にキスをする)
クリケ 胸が張り裂けそうだ。
シュヴィ しかし、どうして追い出されたんです?
ローズ (泣きながら)たぶん、家賃が7ヶ月溜まってるから。
クリケ おお!
ローズ でも、払えないものは、払えないんです。
クリケ かわいそうに!(クリケもローズの左手にキスをする)
シュヴィ かわいそうに!(ローズの右手にキスをする。傍白)本当にきれいな人だ。(ローズの額にキスをする)
クリケ (傍白)本当にきれいな人だ。(クリケもローズの額にキスをする)
クルヴェット 大家のバカ野郎!(2杯目のラム酒を呷る)
フォラン氏 (上手の第一扉から登場)おい、フォークがないんだよ。
クリケ (気にせず)はい、はい。(フォランビュッシュ氏は退場。ローズに)どうぞ、おかけになってください。私たちはあなたを追い出しはしません。
シュヴィ (ローズを下手のテーブルのそばに座らせて)私たちはあなたを守ってさしあげます。お世話いたしましょう。(クリケに小声で)この娘、気に入ったぞ。
クリケ 私もです。
クルヴェット (立ち上がって、ローズに)じゃあ、私は今夜あなたが寝る部屋をどっか探してきましょう。(クリケに)おい、ラム酒の栓をしておけよ。言ってんだろうに。
クリケ レストランは飲みませんから。

歌 『別れの曲』
クルヴェット あなたの 今夜の
部屋を さがしてきます
急いで
あなた好みの 部屋は
ないでしょうけど

ローザ ぜいたくは 言わない
バストイレが あればいい
6万で
駅から15分歩いても
いいわ、それで

シュヴィ&クリケ
いい部屋 見つけて
あげてよ 頼むから
レディーが
幸せ 見つけるところ
愛の巣箱

(クルヴェットが奥から退場)





第8場(シュヴィヤール、ローズ、クリケ、フォランビュッシュ氏)


シュヴィ (座って涙をぬぐっているローズを見て)ああ、優しい人だ。優しい人だ。(クリケがシュヴィヤールの肩を叩く)ああ?
クリケ 私ですけど。
シュヴィ ああ、お前か。
クリケ (上手に移動して)だんなさん、ちょっと・・・(シュヴィヤールが近寄る)だんなさん、私たちに必要な女性はあの人です。
シュヴィ 私たちに・・・つまり、私にということか?
クリケ 同じことです。(傍白)どうせ、使用人はバカですから!
シュヴィ (ローズに)お嬢さん、何かお飲みになりますか?
クリケ (シュヴィヤールとローズの間に割り込んで)遠慮なくおっしゃってください。砂糖水はいかがですか?
シュヴィ (クリケを押しのけて)お前は黙ってろ。(ローズに)砂糖水はいかが?
ローズ けっこうですわ。喉も渇いてませんから。
クリケ (シュヴィヤールを押しのけて)ポタージュ、ポタージュはいかがです?
シュヴィ (クリケを押しのけて)お前は黙ってろ。(ローズに)ポタージュ、ポタージュはいかが?
ローズ いただきます。こんな不幸な私ですけど。
クリケ (力いっぱいシュヴィヤールを突き飛ばして)お米のポタージュ、大根のポタージュ、パーミセリ、ポテトのピュレ、クルトン付き?
シュヴィ (力いっぱいクリケを突き飛ばして)お前は黙ってろ。(ローズに)お米のポタージュ、大根のポタージュ、パーミセリ、ポテトのピュレ、クルトン付き?
ローズ 大根のポタージュを。それから別にポテトのピュレも。
クリケ (舞台奥へ皿や食器類を取りに行く)大至急、皿、食器、ナプキン!
シュヴィ (傍白。クリケを引き止めて)こいつ、我慢できんな!
フォラン氏 (上手の第一扉から登場)おーい、フォークがないんだよ。(退場)
クリケ はーい、はーい!
シュヴェ (クリケの手から食器類を奪って)ほら、フォークがないってさ。呼んでるぞ。早く行けよ。

(下手のテーブルの反対側から回って、テーブルに食器類を置く)
クリケ (ローズに)ポタージュを大至急で作らせます。すぐに戻ってまいります。(奥へ)大根のポタージュ一丁、ポテトピュレ一丁!(厨房に入っていく)
声 (応答)オーッス!




第9場(シュヴィヤール、ローズ)

ローズ (シュヴィヤールに)いい方ですわね、あなたのご主人さま。
シュヴィ え? 私の主人? あいつはウチの使用人です、見習い給仕です。まったく! 主人はこの私です。
ローズ (立ち上がって)あら、そうでしたの、ごめんなさい。
シュヴィ いいですよ。どうぞおかけください。私の椅子です。(ローズが座る)かわいそうに。ご家族はいないんですか?
ローズ お金持ちの伯父が一人。屋敷を4軒持ってるんです。
シュヴィ (傍白)ああ、なんということだ。屋敷を4軒も持ってる人がいるなんて。
ローザ でも、私は伯父の顔も見たことないんです。どこでどうしている人なのやら。
シュヴィ あなたは何をされてるんですか?
ローズ 造花を作っているんです。
シュヴィ 何と美しいお仕事! ウチにも花が必要です。
ローズ まだうまく出来なくて。始めて間がないものですから。シャクヤクしか作れないんです。
シュヴィ シャクヤクでけっこう。私の好きな花です。私のために百でも二百でも作ってください。(上手を歩く)
ローズ (立ち上がって)はい。(傍白)頼りになる方ですこと。
シュヴィ 嬉しいです。しかしまた、どうしてあなたは大家さんから追い出されたんです?
ローズ それはつらいことです。私はオム・アルメ通りに住んでいました。
シュヴィ オム・アルメ通りに! あに、車止めのある?
ローズ 8番地の2です。
シュヴィ おお、神様!
ローズ どうかなさいましたか?
シュヴィ いや、もう嬉しくて嬉しくて!・・・落ち着け、落ち着けよ・・・6万フラン・・・
ローズ (傍白)どうしたのかしら?
シュヴィ (傍白)こんなステキな人と屋敷が両方手に入るなんて! 信じられない! ローズさん、じつはあなたに申し上げたいことが・・・

(その瞬間にクリケが厨房から出てきて、ローズとシュヴィヤールの間に入ってくる)


第10場(ローズ、シュヴィヤール、クリケ、アントニー、クルヴェット、フォランビュッシュ氏)

クリケ (やって来て)ポタージュでございます。
シュヴィ (傍白)まったく、こいつ間が悪いときに出てきやがって! 今、告白しようと思ってたのに!
クリケ (ローズに)私が自分で作ってきたんでえうよ、ポタージュ。(下手のテーブルにポタージュを置く)
アントニー (奥の扉から勢いよく入ってくる)シュヴィヤールさん! シュヴィヤールさん!
シュヴィ アントニー、どうだった?
アントニー 勝利です。屋敷はあなたのものです!
シュヴィ (椅子にへたりこんで)ああ! 良かった! 良かった!

(クルヴェットが奥の扉から帰ってくる)

クリケ (シュヴィヤールのもとに駆けつけて)たいへんだ! 気絶しちゃった!・・・(ラム酒の瓶をかかえて)ラム酒を!・・・あれ? 空っぽだ!
クルヴェット (クリケに)だから言っただろ、蒸発しちまうぞって。(ローズ)お嬢さん、お部屋を見つけてきましたよ。
シュヴィ (立ち上がって舞台の真ん中に進み出る)その必要はない! ローズさんの部屋はあります!(ローズが立ち上がってシュヴィヤールに近寄る)
全員 どういうこと?
シュヴィ 私の、私の屋敷に!
クルヴェット え? あんたが、今度の私のご主人さま?
シュヴィ まあな。
クルヴェット (傍白)血も涙もない顔してるぜ。
フォラン氏 (上手の第一扉から登場)おーい! フォークがないんだよ!
クリケ 少々お待ちを。只今。取り込み中でして。
全員 早く、早く!


第11場(前場の人物に加えてグルヌイヤール、アマント、フォランビュッシュ夫人、子ども、客たち。全員が扉から出てくる)

歌(コーラス)『村の鍛冶屋』
ビフテキ オムレツ
ブレスのチキンのクリーム煮
ジャガイモ、アスパラ
鹿児島黒豚しょうが焼き
グリルにソテーに
シチューにラグー
満腹 満足
しかも安い

全員 パンだ! ワインだ! 塩だ! マスタードだ!
グルヌイヤール (人垣をかきわけて)この店は三流レストランだ!
アマント (シュヴィヤールに近寄って)安食堂と変わらないわ!
シュヴィ ですが・・・
アマント 安食堂!
客たち そうだ! そうだ!
シュヴィ うるさい!
グルヌイ (シュヴィヤールに近寄って)へたくそコック!
シュヴィ 私は本日只今より、もうへたくそコックなんかじゃない! 私はオム・ ム・アルメ通り8番地2号の、大家になったんだ!
全員 おー!

歌 オッフェンバック『美しきエレーヌ』
シュヴィ お、お、大家になった 大家になった
大家になった 大家になった
この店たたんで 家賃で暮らして
  老後も安心 万々歳
(繰り返し。フレンチカンカンで最後は盛り上げ)

(シュヴィヤールはコック帽とエプロンを投げ捨てる。クリケも同じようにする。クルヴェットはこっそりローズのポタージュを飲んでいる。客たちはみんな奥の扉から出て行ってしまう)