ラビッシュとは何者か?

 ウジェーヌ・ラビッシュEugène Labicheは19世紀フランスの劇作家です。生涯に165本(判明したもののみ)の、ヴォードヴィルと呼ばれる喜劇を書きました。「ヴォードヴィル」というのは、後にアメリカで「寄席芸」の意味で使われるようになりましたが、ラビッシュの時代にはそうではありませんで、歌つきの軽い、けれども風刺要素の強い喜劇をさすようになっていました。長さも1幕物から本格的な5幕物までいろいろあります。「ヴォードヴィル」という語は本来は風刺的な俗謡、流行歌の類をさすものだったようです。それが演劇へと発展したと考えるとよいようです。
 ラビッシュはナポレオンがワーテルローの戦いで負けた1815年に生まれています。パリで生まれたのですが、父親が経営するブドウ糖ジュースの会社がリュエイユRueil(パリの西の郊外)に工場を建てたので、幼年期はそこで過ごします。現在の名門校コンドルセ高校(当時はブルボン中学)に入学してからパリに住み、高校を出ると友人と劇団を作ります。そしてイタリアに旅行に行きます。帰ってきてから法律学校に籍を置きますが、数年後から演劇雑誌で劇評を書き始めます。劇作に手を染めたのは37年からですが、最初は習作的なものですが、それでも作品が舞台にかかりはじめます。この頃からラビッシュは協力者と一緒に作品を執筆するというやり方をとっています。年間2〜3本の3幕物を書いていますから、なかなか速いペースです。
 ラビッシュは49年までに30作品を超える喜劇を書いています。今、私が参考にしているラフォン版の2巻本ラビッシュ戯曲集にはかなりの数の作品が入っていますが、これらの作品は評価を得られず、収録されていません。ラビシュが真の個性を発揮するのは49年の『武装男通り8番地の2』からとみなされています。
 その後、ラビシュの手法である協力者とともに多くの作品を世に送り、1879年、64歳になるまで精力的に活動を続けます。その後、80年にアカデミー・フランセーズの会員に選出されて88年、73歳で生涯を終えます。