『笑いーその意味と仕組み』エリック・スマジャ(文庫クセジュ)

メガネ:コメディの翻訳なんかやってると、こういう本を読んでおきたくなる。
とんぼ:「笑い」についての理論書か?
メ:理論書にはちがいないけれど、古今東西「笑い」がどのように考察されてきたかを概観できる本と言ったほうがいい。特に著者の新説が披瀝されているわけではない。
と:俺も昔、ベルグソンの『笑い』というのを岩波文庫で呼んだことがあるが、どうもピンと来なかった。生命が機械になるとその瞬間が可笑しい、と書いてあったような気がするが。
メ:ああ、たしかに哲学の手法で「笑い」を分析しようとするのは難しいな。古代ギリシアからはじまって、この本の前半でも駆け足でまとめられている哲学者の諸見解は、どうも役に立つとは思えない。
と:笑いというのは哲学というより、意味論の視座からアプローチしたほうがいいんじゃないか?
メ:私も同感だ。でも、それ以前に確認しておきたいのは「笑い」を分析する手法で革命的な仕事をしたのは、やはりフロイトだ。1905年の「機知−その無意識との関係」では抑圧―解放の心的メカニズムから笑いを説明しようとしている。機知の文法と夢の仕事が似ている、という重要な指摘もある。それから1927年の「ユーモア」という論文がある。
と:へえ、そいつは知らなかった。
メ:そこでは「笑い」の社会的次元が考察の射程に入ってきて、自我と超自我の関係から「笑い」を説明しようとしている。
と:俺はもっと単純に、状況や論理が予期させる表象と、その意味との差異(ズレ)が発作的に生じると笑いが起きる、なんて勝手に定義してたんだけどね。
メ:それはギヨマンという心理学者がフロイトに即して言っている。「滑稽な印象は、融即(あるものが同時に別のものでもあるという印象)の類の変化から生じる」と。
と:我が意を得たりだな。ものまねや駄洒落なんか、まさに「あるものが同時に別のものでもある」だよ。意味の多重性までカバーできる理論だな。将来、コメディ論を書くときに有力な作業仮説を提供してくれるじゃないか。
メ:それから今度、サラ・コフマンの『人はなぜ笑うのかーフロイトと機知』も読んでみよう。

笑い ─ その意味と仕組み (文庫クセジュ958)

笑い ─ その意味と仕組み (文庫クセジュ958)