タワさんとの縁

 もう10年くらい前になるんだろうか、ある人から「能を勉強しに来ている黒人がいるから会わないか」と声をかけられ、こちらも好奇心をかきたてられて、どこぞの場末っぽい居酒屋で彼と飲んだ。それがカメルーン出身のクワン・タワさんだった。俳優でもあるが劇作家としての活動もしていて、帰国後に本拠としているパリから作品をメールにのっけてたくさん送ってもらった。
 その後しばらくは音信がなかったのだが、すっかり忘れたころに昨年ごろからパリで「朗読会」のようなスペクタクルを催すようになったらしく、私もメーリングリストにのっているんだろう、案内メールが東京まで届くようになった。また、先日聞いていたラジオ番組「スチュディオ・テアトル」のアフリカ演劇の特集にはタワさんが出演していて話をしていた。去る者は日々に疎しというが、その逆である。私の頭のなかからはタワさんのことが離れなくなってきた。
 そんなことで、先日ある会の席上、何か翻訳してリーディング公演にふさわしい作品はないだろうかと相談があったとき、タワさんの作品『罠』を提案してみようと思ったのであった。こういう話はトントン進むもので、たちまち本年の12月にリーディング公演の運びとななった。さっそく私が翻訳に着手することにする。
 タワさんの経歴を簡単に紹介する書類を作っていたら、ネット上でタワさんがインタビューに答えているページを見つけた。これが面白い。
 詳しい話はいずれあらためてするが、タワさんはまだ35歳なのだけれど、90年代にカメルーンの民主化運動のために詩を書いていた。5千人が自分の詩を口ずさみながらデモをする光景を見たという。「政治と詩はともに進むものだと思っていた」なんて回想するから、カメルーンの青春は美しいんだなあ!ところが大統領選挙を実現することになったら、実際には「腐った権力」がはびこるだけだった。そこからタワさんは「詩」から「演劇」へと河岸を変えて活動をはじめた。生の言葉の領域でなければいけないと考えた。
 インタビューの中でタワさんは、自分と詩との出会いが8歳の時のことだったと言っている。友人と毎朝一緒に学校へ通っていると、いつも友人のお母さんがドーナツみたいな揚菓子を新聞紙に包んで持たせてくれるのだそうだ。ところがある日、新聞紙がなかったのでお母さんは、なにしろそこの長男は古本屋だったから、部屋に転がっていた適当な本のページを破いて菓子を包んでくれたのだ。それがサンゴールの詩集だったそうで、クワン少年はその紙に印刷された詩を読んで、分からないなが、ものすごく興味を抱いたらしい。それがこのカメルーンの詩人と詩の出会いだったのだ。
 人間の感性って不思議なものだ。